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某Pでの音楽2010/08/06 10:03

マラソンの帰りなんかに寄らせてもらっている某P。
別に伏せる必要もないのですが。
洋食屋さんと言うのが最もしっくりくるでしょうか。
マスターの人柄に惹かれて夜な夜な常連が集まってくる。
マスターは一見べらんめえみたいな印象ですが,今の店を始める前は
大変エラいシェフで,後輩たちが来ると「ムッシュ」と呼ばれている。
普通なら私など口もきけないお方なのですが,大変に気さくと言います
か,この頃はあまりありませんが,ヘタに遅い時間に行くとでろでろに
できあがって客をうなり飛ばしていたり(笑)。
魅力的な方でありまして,地元では今通う店はありませんが,こちらに
は,月に何度かはお邪魔させてもらい,人のキープボトルを飲んじゃっ
たりしているのですが(笑)。
で,他のお客さんがいる時は,所謂BGM的な当たり障りの無い音楽
を店内に流している。有線で。
これが他のお客さんがおらず,マスターと私だけになると,何故か軍歌
になったり(笑),古~い演歌,と言うか昭和歌謡かな。そんなのになる
んですね。
私のことはともかく(笑),マスターが右翼とかそういうことではない。
戦後間もなく生まれた人ですので,体になじんでいるのもあるでしょう
し,鶴田浩二的世界になってきますと,これはもう軍国主義とかとは
かけ離れてきますし。
私は私で,今の感覚で古いものを考えても理解できないということを
万葉集などで学んでおりますので(笑),余計なことを考えずに聴くこと
ができます。
また中にはいい曲もあります。古関裕而先生も随分書いてますし。(関
係無いですが,タイガースの「六甲颪」は古関裕而。ジャイアンツの
「闘魂こめて」も古関裕而。「節操無い人だね」というのが川柳川柳師匠
のネタ)
しかし軍歌がかかっていて,そこに他のお客さんが入ってきたら,この
店は何だ!?ってなりますわね。そりゃ。それで聴いてるのがマスター
と私ですからね(笑)。ちょっと怖いかもしれない。
だから最近は聴いてないですね。
しかし古い歌はよくかかりますわ。
マスターは春日八郎さんが好きなんですね。
その辺になると私も好きなものですから,60代と40代で「いいねえ」
「抜群ですね」とかやっているのは,客観的に考えたら変な光景かな。
そんなことないな。
私は灰田勝彦さんが好きなんです。かっこいい。
しかし好きと言っても,こちらの少年時代はキャンディーズですからね。
60代の知識には敵いませんな。またマスターは詳しい。
有線は,カバー曲もよくかけるんですね。
つまりAさんが歌ってヒットした曲をBさんが歌うってヤツ。
春日八郎さんや,美空ひばりさんなんかも他の人の曲を歌っていて,
それがよくかかる。
美空ひばりさんなんかだったら誰でもぱっと聴いてわかるでしょうけれ
ども,本人じゃないことはわかるものの,誰だかわからない,誰だろう,
てなところをマスターはぱっと言い当てる。
耳もいいんでしょうねえ。
まあそんな懐メロ,って,私の年では懐かしいという範疇より昔の歌で
すが(祖母と長く一緒に暮らしていたから年のわりにはよく知っている
のかもしれませんが),そんな音楽を肴にして世代を越えて共感して
飲んだりしている訳です。これはいい時間です。
 
で,前置きが長くなりましたが,今日は日本人なら特に忘れてはなら
ない日であることは申し上げるまでもない。
この時期に某Pに行きますと,マスターが,あれがいいんだと語り始め
る。
それは美空ひばりさんの「一本の鉛筆」。
私はこの曲を全く知りませんでしたが,マスターは何で知っているのだ
ろう。
なにしろいい曲なんだとおっしゃるので,ある時その場で携帯電話を
取り出し,YOUTUBEで検索したらそれらしきものが出てきたので,
フルボリュームにして店でかけました。
「これこれ」と言って,しみじみ聴いておられました。
 

 
他にもアップされていたものがあったのですが,消されてますな。
これ↑もいつまであるかはわかりませんね。
作詞は松山善三さん。
映画の「典子は,今」を撮った方。
「ザラ紙」ってのも今は聞きませんねえ。「ザラ版紙」なんて言いました
が。
とにかく,「鉛筆」「ザラ紙」という身近な物を象徴的に用いて,庶民の,
とりたてて何のこともない日常が,覚悟する間もなく破壊,消滅させら
れてしまう残酷さが,シンプルな歌詞から伝わってくる。
私があれこれ言うのもどうかと思いますが,これ,戦地で戦友を亡くし
たとか,広瀬中佐とか,死んでもラッパを離しませんでしたとかでは
ないですからね。
戦後ジュネーブ条約に文民保護の条約が付け加えられましたが,それ
が現在まで十分効力を発揮しているかと言えば,どうだか。
過去の惨劇に学んだとは言えない状況が続いているとしか思えない。
それはしかし当然です。
今の核兵器は広島,長崎の比ではない威力であり,もし使用した場合,
確実に非戦闘員に被害が及ぶ。
つまり核兵器の存在自体がジュネーブ条約違反であり,結局ジュネー
ブ条約そのものが虚ろなものになってしまっている。
核抑止力の考えも理解はできますし,確かに長崎以降,戦争・紛争に
核兵器が使われてもいない。劣化ウラン弾というのはありますが。
それはそれとして,第2次大戦以後,各地でどれほどの非戦闘員が殺
されていったか。
これでは,例えば今日であれば,65年前広島で命を奪われた人たち
に申し訳ありません。
変なナショナリズムや,特定の団体や思想のエゴや,またそれらを攻
撃する目的ではなく,冷静で論理的な議論がほしい。
徹底して目的を果しているとは思えないジュネーブ条約ですが(いや
勿論これにより救われている面もあるでしょうが),世界が「戦争」とい
う手段,発想を失ってしまえば,こんな条約はそもそも必要無い。
夢のような話かもしれませんが,その夢を実現するためにはどうすれ
ばいいのかを考えていくのが,65年前の今日だけでなく,これまで
銃も取らずに亡くなっていった人たちに対しての責任でありましょう。
念の為付け加えます。今回非戦闘員で戦争の被害を受けた方々の
ことを述べてきましたが,祖国,家族を守るために戦った兵隊さんたち
には,勿論私は感謝しております。
 
「一本の鉛筆」を貼るだけだったんだけどな。
どんどんややこしくなってしまった。
躁病かもしれない。