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まず南相馬のことから2011/08/27 16:30

先週の水木金の3日間,今度は水害に遭った会津金山の災害ボランティアに行ってきました。
そのことについてはまた別に書くとして,まず先月行ってきた南相馬で聞いたこと,感じたことなどを今更ですが少しまとめておきます。
震災から丁度4ヶ月後に私は入りました。
南相馬の市街は,見渡してもそう被害は見えない。屋根を直している家がちらほら見えるぐらいで。
ひどいのは津波被害を受けた沿岸部,また原発に近いエリアですね。
私は瓦礫撤去や泥かきの作業ではなく,流出物洗浄の作業に回りました。
というのも,南相馬ではその日にある何件かのニーズを壁に貼り出して,自分が入りたい作業に名前を書いた付箋紙を貼っていくのですが,瓦礫撤去などのハード系作業の人気が高く,早くにチームが編成され,出かけて行く。
まあ気持ちはわかりますわね。やったるでーっ!ということなのでしょう。ボランティアに来るぐらいの人ですから,中でもキツい作業は私が引き受けましょう,という気持ち。
ところがこれ,男衆だけでなく,女性も結構そちらに加わる。
それはどうなんだと思いましたが,これはこれでどうやら意味があるようだ。
つまりハード系の作業チームに女性がいると,男はバカだから頑張っちゃうらしい(笑)。
作業が進むのだそうです。
60をとうに過ぎているだろうとお見受けするおとっつあんもいるのですが,結局チーム全員ががしがしスコップを振るう訳でもなく,後ろから全体を見渡して,土嚢袋を用意するとか,女性は水を用意するとか,力仕事はきつそうな人でも,現場現場でやることが必ずあるんですね。
これはなるほどと思った。
もしみんな同等のパワー系のおっさんばかりだと,誰かが一旦力仕事から離れて,差配に回ることになる。そうなると,ちょっとサボっているような気がしたり,疎外感を(笑)感じるかもしれない。
物理的なパワー差がはっきりしている人がメンバーにいれば,その人の役割がはっきりする。その方がスムーズに作業が進むでしょうね。
しかし女性もパワフルでしてねえ。年寄りも黙々と動きますね。
まあこの辺は,私はマラソンをやっているのでわかります。性差,年齢差を感じさせない人がたくさんいるということを。
そういうことで,瓦礫撤去などはすぐに定員に達し,流出物洗浄は最後に残るので,私はそちらに加わりました。
流出物洗浄は,体力は使いませんが,これはこれで突きつけられるものが重く,ナイーブな人だとショックが大きいかもしれません。
例えば,子供が小学校に上がる入学式の日,真新しいランドセルを背負って,親子で家の玄関前に立ち,記念撮影したりしますよね。
そういう写真があると,まずこの人たちは今生きているのだろうかと。
そして,この写真が今私の手にあるということは,この家はたぶん無いんだろうなと。
写真洗浄は特に,ありありと生活が見えてしまい,写っている人は無事なのだろうかとついつい考えてしまう。
沿岸地帯の瓦礫撤去から拾われたものが集まってくる訳で,持ち主の方々の家は間違いなく津波被害を受けていることになる。
4ヶ月経っていても,まだ泥まみれのアルバムなどが日々届けられてきておりました。
一枚一枚アルバムから剥がして洗うのは大変時間がかかり,いつになったら終わるのか全く見当のつかない量がありました。
現在南相馬の災害ボランティアセンターは「生活復興ボランティアセンター」と名称を変えて活動しておりますが,5ヶ月以上経った今でも側溝の泥かき,流出物の洗浄などは続けられております。
http://ameblo.jp/minamisoma-svc/
写真について言うと,かなり救えない写真が多く,これももどかしさを感じるところ。
きれいな水にドボンと落としたぐらいなら,干せば大丈夫。
しかし津波は土砂などを巻き込んでいますので,バクテリアがいるのですね。
このバクテリア,カビが写真を浸食していく。
ぼやっとなんとなく人物が確認できるようなものでも,水に入れると全てが溶けて消えてしまう。
一番丁寧なやり方は,泥だけなんとか払って,画像をスキャンしてデータ化する。
しかしそんな機材は無く,仮に揃えたとしてもキリが無い。写真は日々浸食されダメになっていきます。
なるべく多くの写真を救おうと思ったら,スピードも重要になります。
そういう写真を被災地から東京に送って,休日などにボランティアを募って洗うというプロジェクトもありましたが,なにしろ個人の生活に踏み込むところもあり,地元からあまり出したくないということもあるだろう。
またこれは私が入った現場でもあったことだが,地元の人も当然ボランティアに入っており,写真を見て「あ,〇〇さんだ!」ということもある。
直接電話をして,引き取ってもらったケースが実際ありました。
そういう意味でも,地元の人が作業に加わった方が返却効率がいい場合もあります。
ネガは結構丈夫で,キズはついているとしても,ネガの体裁を保っているものが多かった。
ネガは私が入った現場から,再度きれいにする現場に持ち込まれるのですが,そこでフィルムスキャナーを使ってデータ化していたようです。
その作業をしていた人と宿泊所で一緒になったのですが,これもまたキツいらしい。
ネガではなんだかわからないものが,スキャナーで読み込むと,そこにありありと生活が浮かび上がってくる訳です。
厳しいと言ってましたね。
流出物は勿論写真だけではない。
位牌,手紙,卒業証書,株券,預金通帳,ゲームソフト,まあいろいろある。
紙ものは困るんですよねえ。
子供の絵なんてのも困る。
名前が記入されていることが多いので,持ち主に戻りやすいとは思うのですが,写真のようにじゃぶじゃぶ洗う訳にはいかない。
あれも消しゴムの滓などを使うときれいになると思うのですが,当然現場に大量の消しゴムがありもせず,そこまで丁寧なことはやっていられない部分もあるでしょう。
またそういう「どうやるか」「どこまでやるか」というところは,その日のリーダーの指示に沿って決まる訳ですが,人によって微妙に感覚が違う。
それは当然のことで,勿論ある程度のマニュアル的なものがあって,その通りにやるのがいいとは思いますが,全く同じ指示にはならない。
これはしょうがないと思います。また,「こうするのが100%正しい」ということは無いようにも思います。
とにかく時間がかかり,なかなか未洗浄の流出物が減ってこない。
地道に続けていく他ない。

ここからは私が見たこと,聞いたこと,感じたことなどを箇条書きにしていきたいと思います。

〇南相馬は飲食店の絶対数が少ないようだ。開いているお店は大繁盛。東京にあるような奇をてらった店でなく,普通の食堂,ラーメン屋,蕎麦屋なんかをやったら商売になるに違いない。

〇一泊目は安いホテルがあったのでそこを利用した。二泊目も使おうと思ったら満室でダメ。朝,食堂に行ったら作業服のオヤジばっかり。どうやら原発関連の作業員らしい。原発の近くでは寝られないので,南相馬まで来ていたのですね。

〇南相馬市は独自に放射線量の計測を連日各地で細かく実施している。夏になると雑草が一気に伸びます。それを草刈り機で掃い始めたら,近くで線量を計っていた計測器の数値が一気に跳ね上がり,草刈りを中止してもらったそうです。

〇南相馬市街の空間線量はそう大したものでもないのだが,そういうことで,ピンポイントで異常に高いところがある。水溜り,側溝,苔,草むらなど,近づくと桁が二つぐらい違うところがあるようだ。ほんの数メートルで全然違う。

〇山の方は特に線量が高いらしい。ふわっと気流が上昇して,雨,雪になって落ちたのだろうか。

〇南相馬の街では,マスクをしている人をほとんど見かけなかった。内部被曝を少しでも防ぐ意味ではマスクをすべきと思うが,いない。聞くと,「マスクなんかしてもしょーがねーんだよ」と。これを愚かと言うのは簡単である。私には,この街で生きていく意志の表れに見えました。南相馬で生活する人にマスク使用を期待するならば,ここ以外の地域,例えば東京などでもマスクをすべきである。勿論瓦礫撤去や流出物洗浄の現場では皆マスクをします。

〇今まだ国の方では検討段階のようだが,瓦礫を撤去しても持っていくところが無い。放射能汚染された瓦礫ということですわね。地元の方が笑いながら,「あの瓦礫,スペースシャトルで宇宙に持って行ってくれないかな」と。冗談ではあるが,切実な思いでもあるだろう。国有地に仮置きするしかないだろうと思うが。

〇南相馬には福島県庁の出張所のような庁舎があり,災害派遣等従事車両証明書を貰う時はそこに申請する。この庁舎の駐車場の一角には,例の白い服を着た自衛隊の除染部隊が常駐していた。脱衣してシャワー浴をするテントもある。全身を計測して黒の場合,あそこで除染するのでしょうね。

〇ウチから南相馬に行こうと思ったら,常磐道を北上していくのが一番早い。途中に福島第一原発がありますので,通行止になっているのは申し上げるまでもない。止まっているのは道路だけでなく,鉄道も同様だ。あの一画だけ通れない。常磐線原ノ町駅付近の踏み切りを通ったが,線路は真っ赤に錆び,草ぼうぼうであった。

〇原ノ町駅の近くの居酒屋に入り,吉田類気分を満喫した。震災の影響でメニューは少なめということであった。モツ煮込みを頼んだら,なんとモヤシが入っていた。モヤシはあの辺の名産らしい。ニンニクが効いた煮込みとシャキシャキのモヤシの相性は悪くなかった。

〇原発近くの住民の中には,「東電は悪くない。悪いのは津波」という人がいるそうだ。「安全」と言っていたものがこんなことになっているのだから責任は免れないし,事故後も情報隠蔽したりで完全にアウトであるが,そう言う人を私は批判したり冷遇したりする気持ちになれない。原発建設に際して,そう多くもない人口の村や町で,国,東電,県,地元の有力者,それまで反対していたのに転んだ人,などなどに追い込まれたら堪らない。そこに住み続けようと思うなら,嫌でも飲まずにいられないところもあったろうと思う。その後ばらまかれた金で,家を建て替えたり,子供を学校にやったりしていたら,この現状を前にどう考えたらいいかわからなくなってくるだろう。東電擁護的な発言をする原発周辺住民が実際にいるとすれば,その人たちはまた一つ,残酷なまでの被害者と言えるかもしれない。

〇「脱原発」と陶然と言われても困る。もう日本で新しい原発を建設するのは無理であろう。それはそれとして,具体的にこの目先をどうするのか。例えば東京都はハイブリッド型のガス発電所を作ると表明した。こういうプロジェクトを立ち上げるなどして,具体的に見せていかなければ話にならない。ただ天然ガスはそれほどスマートな資源ではないことも認識しておかなければならないだろう。天然ガスは海底からの採掘もあるが,要は地面に穴を掘り,そこに薬品を混ぜた水を流して地中を砕いていく。そこからポコポコとガスの泡が上がってきたのを捕まえる,という感じ。この薬品というのがまずよろしくないようだ。ガス会社はガスの出そうな土地を買い漁っていて,どんどん掘るつもり。アメリカは天然ガスの大産地であるが,ガス田近くの地下水を使っている家の水道蛇口からガスが出てきて,火を近づけるとボッ!と燃えたりする。水自体も飲用に使えなくなる。このまま進めばニューヨークの水源が汚染され,水道水がまるっきり使えない水になる恐れもあると,以前TVドキュメントでやっていた。アメリカは環境にうるさい国のはずだが,某副大統領が任期中にガス田開発に関わる部分を法改正したらしい。その時の大統領は勿論あのセガレだ。天然ガスの是非はともかく,急場のしのぎをどうするのかというところで,このハイブリッド型のガス発電所は一つのアイデアである。ただガス採掘によって苦しんでいる人がいることも忘れてはならない。ここでも当然実弾(金)がばらまかれている。

〇今回は原発利権というものが改めてあらわになった。原発関連のパッケージがある訳ですね。これに「NO!」というのは簡単だが,前述のように,このパッケージに飲み込まれてしまった人はどうするのか。自業自得で済ますのも簡単だが,それで問題解決になるのか。私は新しいパッケージを作ればいいと思う。その一つは,前にも書いたことがありますが,オーランチオキトリウム(石油様の生成物を作る藻の一種)のプラントではなかろうかと。石油はどうしたって必要ですし,これが国内需要のみならず,輸出できるレベルに発展すれば,逆点サヨナラホームランどころではなかろう。ただここでも利権の構造が発生しかねない。ある程度は仕方のないこととも思うが,まずは小選挙区制の見直しが必要であろう。同時に,ハイブリッド型ガス発電のような,高効率,低二酸化炭素排出の火力発電技術の開発が求められる。
またこれまでそういうパッケージは原発や高速道路,新幹線,ダムなど,ハードのものがほとんどであった。これからはソフト部分のパッケージが提案されてきてもいいのではないかと。具体的にどういうものかはまだわからないが。これは宿泊所で一緒だった人との会話から。

〇ていうか,早く福一がなんとかならないものか。

〇安部譲二さんは自身のページで,原子炉を冷やすのに水を使うから汚染水ができる。ドライアイスを使えばいいと(笑)。元安〇組は考えることが違う。

〇政府発表,東電発表のデータが信用できないことで,風評被害を生み,その風評が実際風評なのか,或いは事実なのか,判断しにくくなり,更に混乱が増す。何事にもまず疑って,警戒し,自分なりの判断をしていく姿勢は勿論必要であろう。ただ食品の汚染も気になるところであるが,ここで推測や感情を基にした議論をしても何の問題解決にもならない。事実を積み上げた上で,具体的にどうしたらいいのかを考えなければ。「日本はもう終わり」というのはただの思考停止,思考放棄である。障壁があるのであれば,それを特定し,分析し,排除する具体策を寄せ集めていかなければならない。

〇もし今後,放射線の影響で病気になる人が増えるという可能性があるのであれば,例えば今から骨髄バンクの啓蒙を進め,登録者を増やす算段をする。これも具体策の一つ。最悪の事態を想定し,対策をあらかじめ打ち出しておく必要がある。危機管理。勿論,病気にならない為にはどうするかが先に議論されなければならない。

〇ボランティアセンターで朝,受付に並んでいたら,異様な風体のオヤジが(失礼!)ワゴン車でやってきた。なんだろうと思ったら,今日ボランティア向けに冷やし中華を作るからみんな食いにきてくれと。この人はボランティアを集めてツアーを組んで,まず南三陸に行ってきた。そこから南相馬に移動し,皆さんそれぞれの現場で活動。私と一緒に流出物洗浄をした人もいます。で,オヤジはボランティアセンターに残り,冷やし中華の仕込み。昼休みにセンターに戻ったら冷やし中華待ちの列ができていたので私も並んでごちそうになった。昼飯一食浮いちゃった。暑かったので,この酢の味が体に沁みてありがたかった。ただでさえ暑いのに,火を前にしてよほど暑かったのでしょう。頭から水をかけてくれと言われたので,ボールに汲んだ水をかけて差し上げた(笑)。
しかしあの日ボランティアが何人いたかわかりませんが,結構な量,また費用であったはず。頭が下がります。ボランティア向けのボランティアもあるということを再認識。Hさん,ごちそうさまでした!
余談だが,福島では冷やし中華にはマヨネーズが添えられるところが多いらしい。それがここでは無かったので,福島県民は「マヨネーズが無ーい!」とショックを受けたらしい(笑)。

〇避難所でもいろんな炊き出しがあったそうです。ピザの炊き出しもあったそうですが,お年寄りは「?」で(笑),不評だったそうです(笑)。

〇震災以降,「自己完結」の必要性を多くの人が感じたことと思う。完全な自己完結はなかなか難しいかもしれないが,なるべく理想に近づきたいなと。例えば電力ならソーラーパネルとバッテリーとかいうことですね。究極の自己完結は軍隊,また探検(南極観測など),登山なんかですね。飲み食いして,出して,寝る,という基本の他に,携帯電話の充電,テレビ・ラジオ・インターネットでの情報収集,光源ぐらいはインフラと遮断されても確保できるようにしたい。徐々に,できることから始めたい。

〇日本語学校も震災のあおりを受けている。直後はちょっとしたパニックになり,多くの留学生が帰国。その後戻ってきた留学生もいるが,戻ってこない者もいるそう。新規入学が決まっていた留学生では多くがキャンセル。具体的に経営を圧迫されている。実際に日本語学校から東電に対して訴訟も検討しているとのこと。南相馬市では「原発施設等周辺地域交付金」今年度分約5500万円の申請を辞退するという報道があったが,これも国・東電とケンカをする上で必要な判断であったのだろう。

〇南相馬のボランティアセンターでは作業に向かうチームのそれぞれにラジオを渡す。これは地震の警報を聞くため。また地震が起きた場合,津波の情報を得るため。私が行っている間にも地震が発生した。ボランティア宿泊所になっている中学校の体育館2階で寝ている時だったが,体育館フロアを照らす照明や,屋根の筋交いの金具などがガチャガチャと激しい音を立て,自宅での地震とは別種の感覚,恐怖を覚えた。この一点だけ考えても,避難所での生活はストレスのかかるものであると想像できる。

まだまだ書きたい気分ですが,これぐらいにしておきます。
かつて骨髄バンクから骨髄提供をした経験から学んだことがいくつかあります。
一つは自分の足元が固まっていなければ,人に手を差し伸べることはできないということ。
まず健康でなければならないし,通院,入院をしても大丈夫な環境がなければできない。
また,入院中,他の血液難病の患者さん家族と接する場合があり,そのご家族の為に入院している訳ではないにも関わらず,「ドナーさんだそうですね。ありがとうございます」と感謝されたりする場面がある。
つまり赤の他人の為に一肌脱ぐ人が実際にいることを確認することで,闘病の励みになるということだそうです。
災害ボランティアでも同じようなことを感じました。
健康は健康ですが,今私はスレスレ人生を歩んでおり,友人曰く「お前が施しを受ける方だ」と(笑)。
まさにその通りで,今回は3日間しか行けず,ちょっと申し訳ない気もしましたが,本当なら一週間ぐらい通して行ける経済的体力が欲しかった。
また南相馬などは原発に近いことで復旧,復興の難しさがあり,デリケートなところもある。
休憩時間などに「どこから来たんですか?」と問われることがあり,「東京の葛飾です」と答えると,「うわー,遠いのにありがとうねえ」とお礼を言われる。
直接深刻な原発被害を受けていない地域から,南相馬のような場所へ行き,地元の人と同じ場所で同じ空気を吸って同じ目的の為に作業する。そういう人が実際にいることをお見せすることに意味があるのかもしれないと,これはやや傲慢な考え方かもしれませんが,そういう風にも思いました。