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日経「私の履歴書」2011/07/04 18:59

友達というのはありがたいもので,私が購読していない日経新聞の月代わり連載,「私の履歴書」の6月が山下洋輔さんであると教えてくれた。
特に高校生の頃は完全に心酔している状態であったので,そのことを知っていて連絡してくれたのですね。
この連載については全くのノーマークであったので,大変ありがたい。
最初10回ぐらい連載が続いたところで図書館に行き,まとめて読んだりしました。
図書館では半月分がまとめられて保存してあるので,こういう場合便利。
一つの記事だけであるなら,それをコピーするようにしておりましたが,29回の連載をバサバサと開いてコピーするのはあまり美しくない。
少し考えて,当該記事だけ写真を撮ることにしました。
これは切抜きをスクラップするよりスマートでいい。
今後はこの方式でいきたい。
それはそれとして,この連載は大変興味深いものでありました。
戦後ジャズ史でもありますね。
ディキシー,スウィングが主流の時代からモダンジャズへの変遷。
前衛的な音楽との融合。
アメリカから帰国した渡辺貞夫さんの音の衝撃。
60年代の熱気。
オーネット・コールマン,セシル・テイラー,ジョン・コルトレーン。
心酔していたぐらいですから山下さんの著作はかなり読んでおりますが,改めて振り返ると,なんとも熱い時代を駆け抜けてきたお方であるなと感じます。
1962年のキューバ危機の時はグアムに行っていたそうで,これは過去の著作でも読んで知っておりましたが,それまで一緒に遊んでいた米軍兵がみんな出撃してしまったと。
日本に帰るに帰れないという状態。
ジャズマンの目を通した戦後世界史でもありますね。日本のメディアが報じない現実に直に触れている。
伝説の山下トリオは,私は最後の解散コンサート(渋谷パンテオンでの年越しコンサート)にぎりぎり間に合った。
今あんなコンサート(大晦日から元旦の朝まで)に行く気がしません。
高校生だったから立ち見でもへっちゃらでしたが。
新宿のピットインではほぼ毎月なんらかのライブがありましたが,店に入るお金が無い時もとりあえずピットインまで行って(紀伊国屋の裏にあった頃ですね),地下から洩れ聞こえる音に耳を澄ましたりした。
青春だね(笑)。
ピットインと言えば,その時はお金があって店内で演奏を聴いていたのですが,1セット目が終わって,楽屋に向かう通路の辺りに立っていた私の横を山下さんが通り抜けた。
すると大変小柄な方で,驚いた記憶があります。
ステージではそんな小柄な方とは見えないものですから。
後に大学に入り,阿部正路教授の指導を受けることになるのですが,ほぼ酩酊の先生が,「私は三島由紀夫と一緒です!」とおっしゃった。
うっかりしていると何が一緒なのかわからないところですが,これは身長のこと。
阿部先生も小柄な方で,頭頂が私の肩ぐらい。
三島由紀夫が小柄であることは,私の母の目撃証言を(笑)聞かされております。映画館で物凄い美女と一緒にいるところを見たそうです。
目がぎょろっとしてすぐわかったと。凄い小柄,私より小さいかもと。
それを聞いていたので,先生の「三島と一緒です」発言は理解できた。
163cm説もありますが,阿部先生と私の母の発言からすればかなり疑わしい。
先生は三島が自決したその日,夜間部の講義で市ヶ谷の現場にいた現役自衛官の質問を受けたり,先生と一緒に三島の後を追いたいという女子学生もいたりしたそうです。
三島の自決は1970年。熱い時代だ。
おっと,山下さんだった。
今回の連載の中で「アラ古稀」とご自分で書かれておりますが,来年70歳。
登場する人物では,亡くなっている人も多い。
私がちょいちょいライブに通っていた頃から四半世紀が経ち,あの頃の山下さんの年齢に自分がなっている。
今はかなり情けない状態に自分はなってしまっておりますが,これからの四半世紀ですね。これがどうなってくるか。
なんにしろ,体力をつけることは必須。決定事項でありましょう。
走らないといけませんな。
山下さんの歴史を振り返ることで自分の過去も思い出され,ちょっとしゅんとしたところもありますが,こうしちゃいられねえ!と気合も入りましたねえ。
いい連載でした。知らせてくれた友人に改めて感謝です。