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会津金山で災害ボランティア2011/09/11 18:38

7月末に「新潟・福島豪雨」と言われる大雨がありまして,只見,金山の一帯に甚大な被害が出ました。
8月に入ってから両地域にボランティアセンターが設置されまして,広く受け入れを開始した。
震災後,会津地方でも災害ボランティアセンターが各地であったのですが,市外からの受け入れをしないところが多かった。
実は私の祖父が金山の出身で,つまりは私の先祖の地ということになります。
震災以降,我が先祖の地で人手を募集しているのであれば行かねばならぬと思っていたのですが,受け入れが無かったので,それなら市外・県外からも受け入れている南相馬に行こうと決めた訳です。とにかく,私の4分の1は福島人なのだから,福島のどこかへお手伝いに行こうということですね。
その後,冒頭で述べたようなことになり,我が先祖の地の,まさにピンポイントで受け入れがある。これは行かねばご先祖様に顔向けできない,ということであります。
また金山町は人口2500人(!)で,その半数以上が年寄り。
こんな状況になったらボランティアの手が絶対必要な土地でもあります。
ところが私はなにしろお金が無いので,さてどうするかとなるのですが,近くのキャンプ場がボランティアは無料で使っていいよということらしいので,宿泊はオートキャンプに決定。
あとは痛まない食料(カップめん,パックごはん,レトルトカレーなど)を掻き集めてGO!
東北道を北上。郡山JCTで磐越道に入り新潟方面へ。
途中,磐梯山SAで朝ラーメンしようと思っていたのだが,あろうことか夜中はやってないんですね。
まさかそんなこととは思っていなかったのでショックを受けた。諦めて先へ行く。
会津坂下ICで降りて,国道252号を只見方面へ。
まあなかなかいい道のりです。軽ワゴンでとろとろ行ったら5時間以上かかったかな。
途中で只見川も見えてきますが,カフェオレのように濁った水。
本来はエメラルドグリーンの美しい川なのだそうです。
河岸が削れて,なかなか濁りが取れないのでしょうね。
ボランティアセンターの受付は8時30分から。
受付を済ますとそれぞれチームに振り分けられますが,個人宅の作業は,それまで続けて入っていた人の方が顔がわかってますし,気心が知れてきて,作業がやりやすい。そういうチームから先に決まって動き始めます。
私などは新参者なので,最後に残ったチームに入る。
神社の復旧をすることになりました。
9月に毎年お祭りがあるらしいのですが,すっかり同じとはいかないかもしれませんが,なんとか今年もできるぐらいにしたいと。
行ってみたら凄かったですねえ。
今回は少し写真を撮ってあります。
南相馬では,私の入った現場は個人情報の集積のようなところですし,被害を受けた方々の心情を思えば,報道でもない人間があれこれ撮影するのもどうかと思う。そういうのはもう既に報道で皆さん見ておられるでしょうし,実際現場では写真撮影はやめてくれと指導がある。
ただ今回は神社ということで,個人宅でもありませんし,少しはどういう状況かお知らせしてもいいのかなと。
震災関連は今でも報道が続いておりますが,この水害については,現地はともかく,全国的にはあまり伝えられていない。
また現地で聞いたことでもありますが,今また調べてみても,今回の災害は人災の部分があるのではないかとも言われております。
そういうところも含めて書いていきたい。

とりあえず,どういう状況か,写真も一緒にお示しします。クリックすると大きくなります。
↓は河岸が削られている様子がおわかりになると思います。右端の線路はJR只見線です。


↑の状況だけでも列車の走行が不可であるのは明らか。
運行は当然止まっており,線路には錆が出ている↓。


少し上流に行くと流された鉄橋が確認できる。↓は車で走行中に撮ったのでブレてひどい写真ですが。


↓は線路が垂れ下がっているのがおわかりと思います。


私が入った現場の神社境内から川を見下ろす↓。


同じ場所からカメラを左に向けたところ↓。


↑はちょうど社殿の裏手になるのですが,流木が立ち木に引っかかっております。その高さまでは水が上がったということですね。
こちら↓は社殿の正面。
長押(なげし)と言っていいのかな。柱と柱を繋ぐ,横に渡してある木材の上下で色が違うのが確認できます。


↓はそのアップです。


ここまで水が上がった訳です。
私は勘違いしていたのですが,この時の川の水面が通常の水位ではない。
この一帯はダムが多く,通常は神社境内のレベルに近い水位があるが,水門を開けてあるので,ここまで水位が下がっているということらしい。
グーグルマップの航空写真を見るとよくわかります。

http://g.co/maps/zwb6x

このダムの放水について,その時期,方法が適切であったのか,疑いの声が出ているのを私自身も現地で聞きました。
報道にもこれはありますし,個人ブログでも言及している人がおります。

http://www.minyu-net.com/news/news/0803/news8.html

http://blog.livedoor.jp/kuroiamakitune/archives/51615295.html

http://kaichama.blog.fc2.com/blog-date-20110809.html

この神社も元々は別のところにあって,ダム建設にあたり,沈むかもしれないということで今のところに移したのだそうです。
この水害についてはもうあまり全国ニュースで取り上げられることはありませんが,終わった訳ではない。道路,鉄道の復旧はまだまだですし,東北電力,また新潟県,福島県の対応は適切であったのか,検証が必要です。

さて,水は一緒に河岸の木々や土砂も運んできた。
それが神社の境内を埋め尽くした。
↓の写真を見ると真ん中の木の幹が上下で色の違うことが確認できると思います。そこまでは埋まっていました。灯篭も狛犬も,下は埋まっていて,頭だけ出ていたのですね。こういうものはユンボで引っ掛けてはまずいので,人力で周りを掘っていくことになります。


こちら↓は灯篭が崩れております。
階段もすっかり埋まっていたのですが,ユンボで上っ面をかき出して,あとは手掘りです。


鳥居も一つは崩壊しておりました。
こちら↓は崩壊をまぬがれましたが,すっかり埋まってしまいました。


水は土砂を運んできただけでなく,元あった土砂をえぐりとってもいます。
社殿床下の土砂がすっかり持っていかれ,基礎がむき出しになってしまいました。↓の写真ではわかりにくいのですが,床下に人が立てるほどごっそりやられていて,そこに流されてきた木,枝葉がびっしり詰まり,まずはそれを除去する作業から始まった。


↑は詰まっていたものを取り除いた状況ですが,砂と枝が絡まりあって,引っ張っても容易に抜けるものではなく,作業はなかなか困難でありました。
ということで,この神社での作業は,残っている流木等を運び出す,ユンボ使用で鳥居・石像などを破壊することのないよう周囲を手掘りする,掘り出した土砂は神社床下に運び埋め戻す,この三つが中心になります。
私は今回も3日間の滞在でしたが,ほとんどこの床下の埋め戻し作業をしました。
1日目は会津の某高校バレーボール部が応援に来て,その中の女子部がこの埋め戻し作業に加わった。
床下に数名もぐり(彼女たちは「アンダーガール」と呼ばれていた),他の子らがネコ(一応説明。手押しの一輪車のこと)で砂をどんどん運んでくる。
私はその砂をネコから撒けたところで床下に放り込む作業をしておりましたが,なにしろ彼女たちのスタミナは無尽蔵である。
とてもそのペースについていけない。
「おじさんを殺す気か!」「おじさんのペースを少し考えてくれ!」などとボヤキを入れるが,けらけら笑うのみでガンガン運んでくる(笑)。
2回,目の前が真っ白になって,突き立てたスコップにもたれて喘いでました(笑)。
脱水,熱中症の初期症状ですね。
KCさんの真似をして,練り梅のチューブを携帯していたのですが,それを舐め,水を飲みまくってなんとか継続しましたが。
まあ彼女たちの働きは素晴らしかった。
バレー部で厳しい練習をしているし,考えてみれば会津ですから冬は雪なんですよね。雪かきなんかの作業はお手のものなのでしょう。
東京のもやしっ子のおじさんが一緒に作業しているのがおかしい訳だ。
夜通し車を運転して寝てないですしね。1日目はきつかったなあ。
某高校バレー部は,今後全力で応援させてもらいます。
顧問の先生は,ボランティアに来ている大人たちを生徒に見せて,こういう立派な大人になれ,という教育上の目的,メッセージがあったようだが,そこは単純に同意できない(笑)。
後でも出てきますが,結構変わってる人が多い(笑)。
皆さんいい人であることは確かですが!(笑)
この神社チームには外国人も加わっておりました。
ウクライナの美女二人もタフでしたねえ。日本語はぺらぺらだし,頭がいい。作業のポイントを一瞬で理解する。仙台でボランティア活動していたグループでの参加のようで,慣れてもいるのでしょうね。
イタリアの男前兄さんも,黙々と砂を掘っていた。
15時30分で作業終了。
ボランティアセンターに戻り,長靴の洗浄などする。
金山のセンターには温泉があり,無料開放されている。
そこで汗を流す。
神社チームでユンボを動かしていたおじさんが,キャンプ場泊まりだと言う。
私もキャンプ場です,と言うと,じゃあ一緒に飲みましょうよと。
是非是非ということで,再会を約して,私は金山の中心部に行き,売店で翌日の昼食(痛みにくいからあんパン。それとカロリーメイト的なもの)とビールなどを購入。ビールを冷やす氷がその売店で切れていたので,近くの酒屋で調達。
キャンプ場に向かう途中,「栗城建設」と書かれたユンボを発見。
流石は先祖の地。もしかしたら親戚かもしれない。
キャンプ場に着き,受付的なものがあるかと思ったら閉まっている。電話をしても出ない。
もうとにかく開放するので勝手にやってくれということらしい。
ボランティアではない普通のキャンパーもそれぞれ勝手にやっていた。
私はテントを張ったりはしないので,オートキャンプのサイトに車を入れた。
夕食をどうするか考えていたら,ユンボのおじさん(「Oさん」とする)が軽トラックでやってきた。
そう言えばOさんは軽トラなので,テントを張るなどするはずだが,どこに陣取っているのだろう。
オートキャンプサイトの方がなにかと楽だろうにと不思議に思った。
「行きましょう」と言うので,どこに行くのかわからないままOさんの軽トラに乗り込む。
行き先はテントサイトの駐車場。
駐車場で飲むとはどういうことかと思いましたが,見るとテーブルが置かれてあり,その傍らにはバスとトレーラーがある。

つまりこういうことだ。
バスはキャンピングカーに改造してあり,寝るのはそこで寝る。
トレーラーに軽トラを積載し,バスで牽引してきた。
ボランティアセンターには小回りのきく軽トラで行く。
こんなボランティア見たことねえ!(笑)
「なんですかこれ!?かなりぶっ壊れてますね!(Oさんが)」と失礼承知で申し上げた。
Oさんの説明によると,渓流の釣りが趣味らしく,いつもこのスタイルで出かけるそうだ。山の中は軽トラが具合がいいと。
釣った魚を冷凍保存する冷凍庫も積んでいる。
私は相当イカれたオヤジと出合った訳である(笑)。
私はビール,Oさんはワインで乾杯。
Oさんが肉などをどんどん焼いてくれ,おかげで夕食がこの日と翌日分浮いてしまった。
ビール2本を飲み干し,さて日本酒でも飲むかと思ったらワインを勧められ,ありがたく頂戴する。
結局二人で1リットル入りだか一升入りだかのワイン2本を飲み干し,時間は11時半になっていた。
Oさんはユンボなのでまだいいだろうが,私はスコップを持っての土木作業なので,翌日午前中の作業は大汗をかいて酒を抜くところから始まり,かなりの苦痛を伴った(笑)。
ボランティアとして何をしに行っているのかわからない点は反省しなければなるまい(笑)。

2日目も神社床下の埋め戻し。
なかなか先が見えず,ピラミッド建設の気分を味わう。
持参したチューブの練り梅はこの日に舐めつくした。
水は2リットルのペットボトルを持参しているが,その他に「ウォーターガールズ」と称する幅広い年齢層の女性が冷えたドリンクを現場に持ってきてくれる。
それも貰って飲んでますから,作業中に3リットル以上は飲んだことになります。
汗は物凄く,作業ズボンまで全てぐっしょり。
汗をぬぐう首にかけたタオルが飽和して絞れるまでになったのは久しぶりである。
携帯電話,カメラなどは汗で水没してはまずいのでビニール袋に入れておりましたが,1日目はうっかりして財布をそのままポケットに入れていた。
完全に水没し,お札もびちゃびちゃ。
車内に広げて干す破目となった。
前日に引き続き参加の人もいれば,その日初めての人もいる。
私が意識したのは,とにかく無理するのはやめましょうということ。
「休憩しましょう」「給水しましょう」「ゆっくりやりましょう」そんなことを言い続けていた。やる気の無いオヤジに見えたかもしれない(笑)。
年齢層も体力も人それぞれなので,こういう役の人も必要だろうと。
まあ実際に私がキツかったのですが(笑)。
2日目は二日酔いにもめげず,無事終了。初日の方がキツかったところを見ると,寝不足がよくないのかなと。これは今後のマラソンでも活きる教訓かもしれない。マラソンでは寝ないで走るのはしょっちゅうあること。あまり関係ないと思っていた。しっかり寝るのを意識して実行できたら,もう少し楽に走れるかもしれない。
この日の夜も「O’s Bar」が開かれたが,流石に9時前頃には閉店した(笑)。

3日目。私にとっては最終日となるので,なんとか床下の埋め戻しを完了させて帰りたい。
午前中の作業でかなり見えてきて,建築関係の仕事をしているベテランのアドバイス(方言が強くてなかなか聞き取れなかったのだが)を受け,更に効率アップ。
午後にはついに埋め戻しを完了した。


なかなか長い道のりであった。
倒れていた灯篭も,Oさんが巧みにロープとユンボを使い,組み上げた。


Oさんグッジョブ!

灯篭,狛犬,鳥居なんかは砂から頭が出ていましたから,そのものの位置は明らか。
ところが完全に埋まってしまっているものは,我々ではどこに何があるのか全くわからない。
そういうものについては,地元の人が「この辺り」という印に棒を差してある。
そこら一帯を掘り進めていく。完全に発掘である。
ちょっとずれたら全然出てこない。これも根気の要る作業となる。
出てきたもの。これ↓は琵琶を弾いているようだが,神社だから弁天様かな。


祠のようなものも並んで出てきた。


このぐらいまでは出しておかないと,ユンボで引っ掛けたらよくないですものね。
まあ大変です。
私も床下を埋め戻した後,まだ時間があったので,鳥居の発掘に加わった。
それまでで既にキツい状況だったのに,これが最後のトドメとなり,腰が死んだ(笑)。
帰りの車で痛みが耐え難くなり,パーキングで車を停め,バンテリンを塗りまくり,しばらく腰痛体位で寝ました。
ああいう作業は,これまで何度も腰を潰しているオヤジがやるもんじゃないなと(笑)。
今は台風で紀伊方面に甚大な被害が出ておりますが,まだ腰のきれいな(笑)関西方面の若者に是非行ってほしい。

作業途中,地元のおじさんが大きなスイカを差し入れしてくれた。


自然のスポーツドリンクですね。汗をかいてのスイカは抜群に旨い。

夕食はそういうことでOさんにすっかりごちそうになってしまったが,朝食はばっちり食っておかないとその日の作業に影響する。
鍋で水を沸かし,パックごはんとレトルトカレーを温める。
残ったお湯で小さいワンタンやカップ麺などをスープ代わりとし,ティーバッグのお茶にもする。


無許可で出すが(一応ナンバーにはモザイクをかけた),Oさんの装備。


衝撃を受けましたね(笑)。
何度でも言うが,こんなボランティア見たことねえ(笑)。

私が金山に行っていたのは8月の17・18・19日の3日間。
この頃には個人宅の泥かきなどはほぼ終息し,ボランティアがする作業の終わりが見えてきていた。
そして8月28日をもってボランティアセンターが閉所となることが決まった。
ということは,残り1週間。ラストスパートということになり,きっとハードな作業となることだろう。
ここで一つの思いが芽生えた。
私自身は8月22日から新生活が始まり(今私は学生さん),現地に駆けつけることはできない。
現地での作業で重要なのは水分補給と塩分補給。
水は自分でも持っていくし,ボラセンでも用意してくれるから大丈夫。
問題は塩分。
マラソン大会ではよく梅干エイドがある。
塩気とクエン酸が体に沁みてありがたいものだ。
私が持参したチューブの練り梅は前述の通り2日目で終了。
その後は塩飴を舐めたりしたが,クエン酸が脳を突き抜ける感覚が無く,物足りない。
そこで金山に梅干を差し入れしたいと考えた。
一人でやってもいいのだが,なるべく量を送りたいと思ったので,ツイッター・フェイスブックでカンパのお願いをしたところ,数名の方が趣旨に賛同してくれ,送金してくれた。
嬉しかったですねえ。このご好意を最大限に活かさねばといろいろ調べまして,結局酒の安売りをしているところに手頃なものがありましたので,それを2カートン,約24キロ,粒数で言えば目測で1000~1200粒程度,購入し発送しました。


こんなことをして,かえってボラセンにご迷惑ではないか,そこが心配だったのですが,私が不在の時にお礼の電話を頂いたそうで,ボラセンページでも紹介されておりました。

http://www.shien-p-saigai.org/kaneyama/?p=830

喜んでもらえたようでよかったです。ご協力頂いた方々には改めて御礼申し上げます。

そんなこんなで,私の金山での活動レポートを終わります。
ボラセンの活動は終了しましたが,真の復旧はまだ程遠い。
前述のように人災の面があるのかどうか,あるなら補償はどうなるのか,問題は片付いておりません。
それはそれとして,只見川は凄惨な状態ですが,金山は温泉もたくさん湧いて実にいいところです。
福島県内であっても放射線量はそれほど高くないようです。たぶんウチ(東京葛飾)の方が高いでしょう。
冬は雪の深いところですが,是非皆様のんびり温泉に浸かりにでも行って頂きたいですねえ。
先祖になり代わりお願い申し上げます(笑)。

※余談
金山ボラセンに,某携帯電話会社から某機種の提供があったそうです。
太っ腹!男前!というところですが,電波が弱くて全然使えないんですって(笑)。
エネルギー事業もいいけど,てめえの本業の電波どうにかしろ。

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